寄稿コーナー

星野文昭さんの獄死を問う国家賠償請求訴訟第三回口頭弁論12月3日に開かれる。法務省弾劾デモも!

吉川健明さんにレイバーネットの記事をなんくるブログにも寄稿して頂きました。 
――――――――――――――――――――
星野文昭さんの獄死を問う国家賠償請求訴訟第三回口頭弁論12月3日に開かれる。法務省弾劾デモも!

 2020年12月3日、東京地裁で星野文昭さんの獄死を問う国家賠償請求訴訟の第三回口頭弁論が行われ、星野さん虐殺の張本人である法務省に対する弾劾行動が行われました。

 星野文昭さんは、昨年(2019年)5月肝臓がんの手術の失敗で東京昭島の成人矯正医療センターで亡くなりました。享年73歳。星野さんは、1971年の沖縄闘争のデモを闘い、その衝突で亡くなった警察官の殺人の罪をでっち上げられ無期懲役の刑で1987 年から徳島刑務所にいました。

 一昨年2018年から体調を崩して、体重減少と食欲不振が半年以上続いたのに徳島刑務所は十分な検査をしませんでした。夏に腹痛発作で倒れても、10月に胃カメラ検査をやって胃炎としかわからなかったのに広範な血液検査も腹部エコー検査もせず放置し、2019年2月に肝臓機能の異常が、ようやく行なった血液検査でわかり、3月1日の腹部エコー検査で肝臓腫瘤を認め、腫瘍マーカーで肝臓腫瘍の疑いを確実にします。この時徳島刑務所の医師は、カルテに「p CT必須」(pは、plan方針のこと)と明記し、直ちにCT検査をすべきとわかってました。ところが徳島刑務所は、文昭さんに検査結果の告知もせず、また精密検査と治療を外部医療機関に頼むこともしていません。文昭さんがCTなどの検査を受けられたのは4月17日に東京の医療施にきてからです。その間47日間もあります。普通に考えてがんが大きくなったら大変です。その間実は、文昭さんは、四国地方更生保護委員会による仮釈放の審議中でした。受刑30年を越した文昭さんは無期懲役といえども仮釈放されるべきですが、その審理が大詰めをむかえていました。心身の状況は、仮釈放の要件となります。ところが徳島刑務所は、文昭さんの体の状況も肝臓癌かもしれないことも文昭さんにも家族にも弁護団にも告知しないばかりか、この更生保護委員会にも伝えてなかったことが国側の準備書面(訴状を受けた国の答弁書)より明らかになってます。これ自体重大な法令違反ですが、さらに更生保護委員会がこの事実を知ったばあい、当然仮釈放実現に向かうのが普通です。そうすれば文昭さんのがんの治療と療養の幅が広がったでしょうし、センターでの無茶な手術も避けられ、命が助かった可能性も大きいのです。ところが徳島刑務所と法務省は事実を隠し続け、更生保護委員会は仮釈放不許可にしてしまいます。そして、肝臓内腫瘤発見から遅れに遅れ47日間も経ってから文昭さんは医療センターへ移送されます。

 2月に訴状を提出し、その後コロナ禍の影響で裁判は延期されてきましたが、6月に第一回口頭弁論が行われ、その後、国側準備書面が提出され、先程の更生保護委員会へ文昭さんの健康状態を告知しなかったことも国側準備書面で初めてわかりました。8月に第二回口頭弁論が行われ 原告は求釈明を行い、この魔の47日間に徳島刑務所が何をしたかを追及しました。当初被告の国側は誤魔化そうとしましたが裁判長にも促され、答弁書を提出しましたが、この間何もしてないことが暴露されただけでした。そして満を待して、今回の準備書面が出され、第三回口頭弁論が開かれました。
 この裁判の争点は大きく二つあります。一つが先に述べた徳島刑務所での診断の遅れと検査結果を知らせず、精密検査が遅れたことです。そしてもう一つが東京昭島の東日本成人矯正医療センターにおける医療過誤の問題です。
 センターにおいて、星野さんは、手術は受けられましたが、術後集中治療室にもいれられず、夜間十分な術後ケアを受けられませんでした。文昭さんの連れ合いの暁子さんが「集中治療室に何日いるか?」と質問したら「2〜3日」と答えてます。しかしその集中治療室は名前も回復室で、専任の医師も看護師もいない名ばかりのものだったのです。おまけに文昭さんは、術後出血性ショックを起こしていたのにそれに対する十分な手当を受けられてません。それどころか夜間一時から五時まで、ショック状態にあるのに血圧も尿量も測定記録されていないのです。このことを訴状で追及すると国側はこの一時から五時まで刑務官が20分に一度巡視しているから問題ないと準備書面で開き直ったのです。刑務官でもいいから測定記録してさっさと医療チームを呼び出して救急処置をしてほしかった。翌朝発見された時はもう手遅れだったのです。肝臓を切除する大手術をしておいて、術後、当直医を残して帰ってしまい、十分なケアもせず、血圧も尿量も測定記録せず何時間も放置するなんて酷いじゃないですか。

 星野文昭さんは、こうして十分な検査も治療も受けられず獄死させられてしまいました。大変悔しいことです。こんなことを獄中とはいえむざむざと許しておくわけにはいきません。今世界中でコロナ大流行と大恐慌の中、労働者が生きれなくなってます。その中で、ヨーロッパでもアメリカでも労働者の闘いが始まり、アメリカトランプはとうとう打倒されました。その中心を担ったのがBLM運動。black lives matter (黒人の命は大事なんだ)という公民権運動以来の大運動です。香港でも闘いがありますが、あろうことか香港政府と習近平は、若きリーダーの周庭さんらを扇動罪で実刑にに処してます。こうした世界中の労働者の闘いに対する弾圧の酷さは他人事でないと思います。
 私たちはHoshino lives matter(星野文昭さんの生命は大事なんだ)とも言いたい。

 この星野さんの医療国賠は、こうした世界中で闘われている労働者の闘いに対する弾圧を打ち破るための大きな裁判であります。そして、このデタラメな獄中医療の実態を暴いていく闘いです。さらに、今のコロナ大流行で医療崩壊にまで至っている日本の新自由主義化した医療への告発です。獄中医療のデタラメさは外の医療の腐敗・崩壊とつながっています。差別と格差、命の選別の横行を許さず、闘う医療労働者、患者家族とも連帯して医療を労働者の手に奪還する闘いと大きく連なっていると思います。12月3日の口頭弁論と法務省弾劾行動の翌日、夏にストライキを闘った船橋二和病院労働組合が冬の一時金闘争と現場への人員要求を掲げストライキを敢行し、厚生労働省要請行動も勝ち取っています。世界中の闘いと繋がって星野文昭さん虐殺の悔しさを倍返し三倍返し十倍返しして、必ず真相を暴き国に責任を取らせるこの国家賠償請求訴訟に勝利したいと思ってます。
 東京地方裁判所へ提出する要望書へのご協力をお願いします。どうぞご注目を!!️

福生病院事件について考える。

吉川さんに精神障害者権利主張センター・絆への原稿を
なんくるブログにも寄稿して頂きました。
----------------------------------------------------------------------------------------

福生病院事件について考える。
2020年10月  吉川健明
Ⅰ、7月に再開された福生病院事件の民事裁判の口頭弁論の報告を前回の絆に書かせていただきました。その後次の口頭弁論に向けての手続きが先日東京地裁で行われ、その報告集会もオンライン、zoomでのインターネット会議に参加してきました。その報告はまた後段で述べますが、その前に、訴状に対する被告病院側の反論の中で参考文献として出してきた会田薫子氏の「透析しない選択肢も意思決定支援に必要」という論考(日経メディカル 2019/3/12のインタビュー記事)に焦点をあて、さらに会田薫子氏の問題点を考えていきたいと思っています。
合わせて透析医療の歴史を概括することで、この福生病院時の本質について考えていきたいと思っています。

2、会田薫子氏の問題点、日経メディカルインタビューより。
<日経メディカルのインタビュー記事を要約すると以下の通りで、毎日新聞が報道した福生病院事件の記事に対する会田氏の「反論」である。>
 
「人工透析はやるべきもの、やめてはいけないもの」という誤解が医療従事者や市民の間で広がらないかと危惧している。「死の選択」という捉え方でなく「人生の最終段階の生き方の選択」と捉えてほしい。と述べ、さらに、一般論として
医学的見解として「75歳以上の人の透析導入で、フレイル(加齢により心身機能と生理的予備能が低下)が進行したことが立証されたこと(NEJMの2009年の論文)などから透析導入に医学的限界があること
さらに臨床倫理学からみて「患者本人からインフォームドコンセントが得られることができない場合、医療行為を医師が強制することはできない。…
「透析療法をおこなわない=自然にゆだねる」選択肢、「必ず透析を受けるべき」という主張は、医療における父権主義(パターナリズム)現在は患者本人と医療者が共同意思決定の時代。患者が必ず治療受けるべきと医師が決める時代に戻すような報道はバッドジャーナリズム。

被告病院側は「必ず透析を受けるべき」を医療におけるパターナリズムとしてその論拠としてこの会田薫子氏のインタビューを証拠として出している。

このインタビューの最大の問題点は、この福生病院事件についてどうなのか?具体的問いかけや検証抜きに一般論として透析の医学的限界などを持ち出していることだ。前回見てきたように、この事件において、患者はまだ透析が続けられる可能性があった。実際女性が透析治療で通院していたクリニックでは、透析の継続を説得されている。
ある医師は、自分のブログで、ポイントオブノーリターンだった(もうこれ以上透析しても生命維持が困難となってしまっている)という見解を出していたが、それは事態をよく見ずに述べているもので、まだ透析含め医療的な可能性はあったのである。
 一般的に透析の医学的、生理学的限界と技術の限界という問題は日進月歩で変わりうるとはいえ、まだ受け止め切れるものだろう。しかし、「透析をおこなわない=自然にまかす」や「人生の最終段階の生き方の選択」というのは、それとはまた異質の考えだと思われる。

2透析の歴史から概括してわかる問題
もともと透析の歴史をみても透析の続行をめぐる困難はつきものであった。
人工透析、人工腎臓の考えは、相当古くからあったが実現したのは第二次大戦の最中で、その時、筋肉挫滅症候群で腎不全となった若い戦傷者を透析で一時的だが助けたことが始まりという。その後、技術的限界をなんとか突破しても機械が圧倒的に少ないこと、費用がかかることがネックとなっていた。そのためお金がなく大病院へのコネもない腎不全の患者は透析も受けられず亡くなることがおおく、また受けられても順番待ちで、受けている人の死を待つことになり、まだ公費になる前はその多額の自己負担の重みに耐えかね、それこそ透析をやめてしまうことや自殺に追い込まれることが多数あった。そのため、この透析医療を公費で行えるよう国民的運動があり、健康保険の高額療養費の公的負担制や生活保護の拡充へとつながっていき、日本型福祉、社会保障の拡大の原動力となっていった。
 しかし、74―75年恐慌を曲がり角とする日本の資本主義の危機の中。医療福祉、社会保障を削る動きが政府と財界から出て、それが当時の厚生省の「医療費亡国論」となってくる。その攻撃はまさにこの透析医療に向けられた。現在、透析を行なっている病者は約34万人いて、そこにかかる費用は年間500万円といわれ、単純計算で1兆5000億以上かかり、それだけで国民医療費の数パーセントを占める。

 透析医療に対する批判の論拠は、こうした経済的問題が主になっている。しかし、一兆円以上かかるといっても多くの人を殺す武器を買ったり、自然を破壊して辺野古の基地を作ったり、危険な原発を稼働させたり、無駄なオリンピックを開く予算を考えれば十分賄えるのは確かであろう。
また治療費と別の患者の経済的問題は、通院費用や生活援助などの問題があり、そこに大きな格差があり、自己責任では到底解決できない問題だ。金の切れ目が命の切れ目でいいのか?

少し前に長谷川豊というアナウンサーが透析医療を糖尿病腎症が多いから不摂生のせいで自己責任だ。金の無駄使い、亡国と言いなして批判を浴びたが、この会田薫子氏の論考は、人生の最終段階などの美辞麗句を言いながら、実際には透析をやめることを促すような冷酷な論理と言わねばならない。
そもそも医学生理学的に透析を行って生命を維持することが可能かどうかそれともデメリットの方が多いかということは、個別に相当異なる。会田氏が上記にあげた年齢やフレイルから考えた透析の限界という問題も一律に生理的条件を無視して透析をすれば良いという考えに対するある意味正当な意見である。だからこそ個別具体的検討が重要で、年齢なっで一律に切ることは許されない。

また機器や知見の進歩もある。例えばこの福生病院の件で問題となったのは、シャント(透析の経路)が目詰まりしたため首からのカテーテルでやれるかどうかの検討であったが、そうした経路の機器の進歩は著しいものがある。ある意味観念論的な問題を技術進歩が突き抜けてしまうよころがある。もともと透析がこれだけ普及したのは、シャントが発明され、格安に使われるようになったためであり、それにより透析に要する費用や手間も少なくなってきたのだ。
透析の肉体的精神的苦痛というのは確かに存在するが、そういうことをもケアし、生活の質を良くして生きられるようにするのが医師医療者のつとめではないか。
だから、透析をしない、という選択肢が、生理的医学的に,もう透析しても厳しい、デメリットの方が大きいという判断なのか、他の要素はないのかそれが問題ではないか。
経済的困難や家族に負担をかけることの葛藤、さらに透析医療自体で肉体的精神的に苦しいこと。そういうことで透析の続行が厳しくなるのではないか。そうしたことを具体的に援助していくことが医師、医療者、さらにケースワー,行政の仕事ではないか。それ抜きに自己決定と言っても空論以下で、透析をやめること=命が途切れることを促してしまうことになる。自己決定の尊重と言いながら冷酷で残酷ではないか。
実際にこの福生病院事件において、患者は「透析離脱証明書」を書かされ、それを盾に取られ、再開をもうしでてもいったんやめたからと突き放された。この時実際に、透析しても無理だったかどうかそういう検討すらしてない。実際には緊急透析はじめいくつか手段はあったという。

3、会田薫子氏の問題点、臨床倫理学と称するものは倫理的か?
会田薫子氏は、医療倫理学の専門を自認し、これまでも胃瘻の問題や人工呼吸器の問題などを取り上げている。取り上げ方はこの透析問題と共通するものがあり、自己決定などの言葉を言いながら、個々に異なる患者の臨床像や経済的問題や格差の問題を意図的に取り上げないところが大きな特徴である。
一方、会田氏は、日本老年学会の胃瘻造設に関するガイドライン制定や、人工呼吸器のガイドライン制定にもかかわり、透析学会のガイドライン制定では、透析しない選択肢、保存的腎臓療法(CKM,concervative kidney medication)という概念まで作ってきた。
 こうした「延命治療」と称される治療手段も当然万能ではなく、技術的限界があり、個体の条件によってデメリットの方が多く治療そのものができない場合も少なくない。だから適応やどこまで行えるかの判断は個別具体性をもって行うしかない。
しかし一方、こうした治療に多額の自己負担と公費がかかり人手も要するし、家族の負担もお金だけでなく大きい。また治療自身の苦痛も少なくない。社会における格差がもろに反映されるし、自己責任でやれることではない。
本人、家族、医療従事者の疲労などもあり簡単なことではないし大きな矛盾やある種苦み痛みを伴うことでもある。だから余計に個別具体的検討が必要で、正解のない道を歩まねばならない苦闘といえる。
だからこうした会田氏の臨床倫理学と称する研究に相当の違和感を覚えるのだ。
 
4、東京地裁弁論準備期日調整および報告集会
9月14日東京地裁において弁論準備期日が行われ、その夜zoomでの報告集会が行われ参加してきました。
争点として、以下の三つ(治療中止、治療不開始、説明義務違反)が設定され、説明されました。
①治療中止は、8月9日(2018年)医師による透析離脱の提示、14日〜16日の看取りのための入院、鎮静という一連の加害行為を構成するもの。
②8月14日〜16 日の治療不開始
③説明義務違反
という点が改めて確認され、特に治療中止に伴う加害行為について克明に争点が示されたことが報告されました。
④その中で看取り目的の入院のため、「こんなに苦しいのなら透析再開してほしい」という訴えに対しても治療方針の説明や意思の再確認を行わなかった
⑤被害女性に対し、鎮静薬を投与したが、量や方法の調整をせずにおこなった
⑥本件は被告病院が主張する「手術不同意」ということが問題なのではないこと。被告は、カテーテル手術の同意が取れなかったことが問題としているが、実際には、透析離脱を提示したこと、看取り入院そして鎮静により結果的に死を招いてしまったことの一連の過程が問題なのである。
⑦被告病院側は、「患者の透析しないという自己決定を無理やり覆すのはパターナリズティックなもので不適当である」と言っているが、過去の判例をみても医師に治療の必要性の説明及び説得義務があるのは明らかである。

 このパターナリズムという言い方自身会田薫子氏の得意の言い回しで、透析ができるかどうかの医学的科学的検討でもなく、患者の社会的心理的葛藤の問題を具体的に考えるのでもなくただ「自己決定」という言葉が出てくるだけでありさらにそれを覆そうとするのをパターナリズムと言うのはやはり何か重大なことを塗り隠しているとおもわざるをえない。

この集会で、福生病院から出た20名の透析非導入の患者と4名の透析中止患者のことについて質問があった。これは毎日新聞の報道が発端で、透析の非導入とは、透析せずただ死を待つ選択を意味する。
 この24 名の非導入及び中止の患者の臨床背景は不明であり中には、医学的にみて、「妥当な」例があるかもしれない。しかし、ある内科医師によるとこの24 名は明らかに多いという。この福生病院に腎センターができたのが2013年で以来、149名が治療を受けている。その中で明らかに医学的にみて透析しないもしくは中止する患者が何人か出ても不自然ではないが、24 名は多すぎる。そこに不自然さを感じるのである。

5、新自由主義の危機の中での医療の崩壊、腐敗
今日コロナ情勢のもとで、新自由主義の医療の崩壊と病者、障害者の切り捨て、患者殺しともいえる状況が起こってきている。この福生病院事件は、新自由主義における透析治療の切り捨て、患者の選別を露骨に行ったものである。上記したように福生病院において、24人もの透析非導入もしくは中止があったというのはその臨床的背景を見る必要はあるが、愕然とする話だ。
 京都の嘱託殺人事件もそうだが医師、医療者が超えてはならない線を超え、不要邪魔とみなすものを排除しようとしているのではないかと危惧してしまう。
 こうした流れは、このコロナ情勢でますます深まる資本主義と新自由主義の危機を反映している。コロナについても有害事象が懸念されるワクチンや治療薬の無理な開発や承認を急いだり、必要以上の感染防御が強要されたり、実際に社会的経済的格差で感染した後の予後が分かれるなどの事態が起こっている。
 一方で、病院や医療機関は、経営危機に陥り、東京女子医大病院など夏の一時金も労働者に支払うことができなくなり、看護師数百人が一時一斉退職を願う事態にまでなった。千葉船橋の病院の労働者のストライキをはじめ全国で医療労働者が闘いに立ち上がっている。病者、障害者もこの福生病院事件を許さない闘いをはじめ各地で命を守るため闘いはじめている。
 アメリカで黒人差別による警察の虐殺に対し、BLM運動(black lives matter  黒人の命は大切だ)という運動が広がっている。

Handicappers or patients lives matter!
病者や障害者も生きているんだ、勝手に殺すな!
そう叫び、無数の人々と手を携えともに生きていこう。

主な参照文献
1、 腎臓病と人工透析の現代史 有吉玲子 生活書院  2013年11月
2、 長寿時代の医療ケア    会田薫子 ちくま新書 2019年7月
3、 高齢者ケアと人工透析を考える 会田薫子他 医学と看護社 2015年6月
4、 延命医療と臨床現場      会田薫子  東京大学出版  2011年7月
5、 透析医療の歴史        太田和夫  メディカル出版 2008年6月

「福生病院事件第一回公判後集会に参加」

吉川さんに精神障害者権利主張センター・絆への原稿を
なんくるブログにも寄稿して頂きました。
「福生病院事件第一回公判後集会に参加」
吉川健明(精神医療医療当事者、医師、絆会員)

 2018年夏、東京福生市立病院で血液透析を受けていた40代の女性患者が、手首からのシャント(透析の経路)が詰まったため新しい経路を首から作り透析を継続するかそれとも透析を中止するかを提示され、いったん透析中止を決め、「透析離脱証明書」へのサインまでした。しかしすぐに体調が悪くなり、再度福生病院に入院して、透析再開を願ったが受け入れられず、鎮静剤を点滴され亡くなってしまう。残された遺族が病院を相手に民事訴訟を起こし、先日(7月22 日)第一回口頭弁論が開かれ、そのあとの報告集会に参加してきた。

 被告(病院側)の反論が驚くべきもので、「女性が手術(シャントが詰まったため首からのカテーテルの経路をつけること)を拒否したためで、病院側に責任はない。透析を絶対しなければならないというのは患者の自己決定権を否定するパターナリズムで古い考えだ」とまでいう。
 さらに驚くべきことは、「透析をしない選択」という考えである。これは日本透析学会が、2020年4月に発表した「(透析の開始と継続に関する意思決定プロセスについての)提言」に持ち出した概念である。これまで腎不全に対する療法は、腎移植と血液透析、腹膜透析の3種だったがこれに加え、保存的腎臓療法(CKM、conservative kidney management)があるというのだ。CKMを選択すると数週間で死に至るがそこを人生の最終段階とせよとまでいう。なんのことはない「無治療で過ごし死ぬのを待つ」というのだ。これでどうして新しい治療概念というのか理解が難しいが、この福生病院事件でも女性に対し、「透析離脱したから」=「保存的腎臓療法を選んだ」=「人生の最終段階を選んだ」と誘導強制して、透析再開も緊急透析の導入の検討すらしていない。

 そもそもこの女性の腎臓の状態や身体の状態をどう評価し、どのようにすれば日常生活を十分過ごせるかということを考える医療の基本がすっとばかされている。もともとこの女性はただシャントが詰まっただけで、経路をカテーテルに変更するかどうかが問題だったはずだ。そこで女性が心理的困難などからいったん断っただけである。ところが病院側はろくに説得もせず「透析離脱証明書」を持ち出しサインさせている。女性はかかりつけの透析クリニックを受診すると「透析再開しなければだめだ」と説得される。そして5日後容態悪化で福生病院に駆け込み、透析再開を願っても、離脱したのだからと拒絶されてしまう。この間冷静に女性の腎臓及び体調を評価していたのは透析クリニックの医師で、福生病院は一方的に「透析を離脱した」「手術を拒否した」と突き放し、透析再開を願っても「精神状態が混乱した状態」と、医学的評価をせず、緊急透析の検討もしていない。

 裁判は始まったばかりで、これから争点が浮き彫りにされると思うが、この事件の本質は、やはり新自由主義のもとでの医療の腐敗と非人間化であり、医師医療者が屈服し、患者殺しに加担したことであろう。この福生病院でパワハラ事件が起きているとの新聞報道があり、それも偶然ではないだろう。新自由主義のもと、医療が営利事業に転化していく一方、社会に役に立たないと一方的にきめつけ命の選別をする優生思想が跋扈してきている。さらに医療観察法や精神病院での隔離拘束の強化など治安管理の立場に医療が立つようになってしまった。特に、治らない患者は死んだ方がいいという乱暴な優生思想の考え方は、ナチスドイツの時代に、ユダヤ人虐殺に先立って行われたT4作戦による障害者と病者の虐殺に続くもので、戦後の日本の優生保護法による障害者、病者の断種(1万5千件以上にのぼる)へと連なるのだ。この新自由主義の医療の民営化、営利主義化の裏表でこうした優生思想による患者殺しが激化している。

 この裁判の報告集会の翌日、驚くべき事件が発覚した。京都の難病の女性に対する嘱託殺人を遠方の医師が報酬まで受けと行ったことがわかり逮捕されたのだ。今コロナ情勢でこうした優生思想による患者殺しや民衆を管理抑圧する医療が蔓延する一方で、病院自身の経営が行き詰まり、医療労働者の一時金すら支払えない事態が続出している。東京女子医大の看護師にこの夏の一時金が支給されず何百人もの職員が一斉に辞表を出したり、少人数だがストライキに立ち上がる病院の労組もあらわれた。
この新自由主義の医療破壊、人間破壊の攻撃に屈服し、文字通り魂を売り渡して患者殺しに加担してしまうのか、それとも患者や家族、地域の人とともに困難の中連帯して生きる立場に立つか。今その分岐点に私たちは立っているのだと思う。優生思想と分断を突き抜ける連帯と団結を勝ち取ろう。

星野国賠訴訟 第二回口頭弁論開かれる。

(吉川さんにレイバーネットへの原稿をなんくるブログにも寄稿してもらいました。)
星野国賠訴訟 第二回口頭弁論開かれる。
 
  星野文昭さんを取り戻そう 東京連絡会 吉川健明

 先日8月27日、東京地裁にて、星野文昭さんの獄死を許さない国家賠償請求の第二回口頭弁論がひらかれました。1971年11月14日、沖縄返還協定粉砕闘争のデモが渋谷で闘われ、その時警察官一名が死亡しました。星野文昭さんは、そのことで殺人罪をでっち上げられ、無期懲役の刑を受け、44年間も獄中にいました。昨年、肝臓癌であることがわかり、東京の昭島の東日本成人矯正医療センターで摘除手術を受けましたが手術が失敗し無念の死を遂げました。その責任を追及する国家賠償請求訴訟を文昭さんの意志を継いだ妻の暁子さんら家族が徳島刑務所と東日本成人医療センターを相手に起こしています。
 裁判は午前10時半からはじまりました。6月の第一回口頭弁論で、国の違法行為を弾劾してきたことに対する被告国側の反論が準備書面という形で8月初めに示されていました。国の準備書面は訴状に対するケチ付けと揚げ足取りに終始し、国賠法一条一項の違法行為に当たらないと強弁するだけのもので、星野さんがなぜ亡くなったかも明らかにせず、お悔やみの言葉一つのべない不誠実なものです。
 2018年8月に文昭さんが腹痛をおこして倒れたことを「転倒した事実はない(カルテなどの記載がない)」という愚にもつかない詭弁を弄するだけで、検査が遅れがんの発見が遅れた責任を塗り隠そうとしてるのです。
 この日、弁護団は、準備書面に対する求釈明を一つ行いました。昨年、2019年3月1日、ようやく行った文昭さんへの腹部エコー検査で肝臓に腫瘤が発見されたのに、本人にも家族にも弁護団にも隠し、さらに当時文昭さんの仮釈放の審理を行っていた四国更生保護委員会にも文昭さんの体調のことを知らせませんでした。
 この3月1日から4月18日の47日間、文昭さんが東京昭島の成人矯正医療センターに移送されるまでの間、何が行われていたのかを弁護団は追及しました。
 この裁判は文昭さんの無念を晴らすための医療国賠であると同時に、新自由主義のもとで深まる医療の腐敗を暴く闘いでもあります。新自由主義のもと医療は露骨な金儲け主義、格差拡大、患者殺しを深めています。相模原事件や福生病院事件、京都での難病患者への医師による嘱託殺人など医療自体が新自由主義に屈服するなかで、獄中の医療もでたらめになってきています。
 今日のこのコロナ大流行と経済の悪化の中で、医療格差の拡大と患者殺しがますますひどくなる中、この星野文昭さんの医療国賠の成否はとても重要です。裁判は始まったばかりです。今後ともご注目を。

6月22日星野文昭さんの獄死・医療過誤を問う 第一回口頭弁論行われる。ー2ー

6月22日星野文昭さんの獄死・医療過誤を問う
第一回口頭弁論行われる。ー2ー 
星野文昭さんを取り戻そう東京連絡会 医師 吉川健明

 文昭さんのいとこで長年文昭さんと暁子さんを支え続けている星野誉夫さんから、これまでの文昭さんの闘いの軌跡が語られた。
 最後に星野さんとともに渋谷の闘いを担った大坂正明さんを支援する仲間から発言があった。大坂さんは現在東京拘置所にいるが、鼻茸(鼻ポリープ)を患い呼吸も苦しいことと耳にまで影響が及び聴力の障害が出てきていることが報告されて、にもかかわらず東京拘置所は手術の要請を拒否していることが弾劾された。大坂さんへの医療を保証することと生きて奪還すること。そのことは星野さんのこの医療国賠の闘いと一体であることが訴えられた。

 許しがたいことに警視庁の公安警察が朝から多数裁判所を威嚇するように取り囲み、中には裁判所の中にまで入り込んで傍聴券を求める列にまで公然と並ぼうとしていた。こうした事態は憲法で保障されている司法の自由と独立、公開の原則の侵害である。戦前の治安維持法弾圧の下、特高警察は、弾圧された労働者の裁判をも監視し、拷問で虐殺された小林多喜二氏の葬儀(築地小劇場でおこなわれた)をも監視・弾圧した。今また獄中医療によって殺された星野文昭さんの死の責任を問う国家賠償請求訴訟を第一級の監視弾圧対象とすることは許すことができない。権力に楯突くもの、歯向かうものへの弾圧だけでなく、刑事施設で行われる医療の妥当性を問う裁判にも介入することは司法の崩壊につながるし、戦争と憲法改悪の先取りだ。
 第一回公判はこうした弾圧を毅然と跳ね返し、原告で連れ合いの暁子さんを先頭に闘われた。

 星野国賠は、文昭さんと暁子さんの無念を晴らす闘いに加え、日本の刑事施設の医療を変革する闘いであり、入管施設や医療観察法施設などでの医療放棄、医療過誤を告発し改革する闘いにも連なっている。多くのみなさんのご注目を。

次回公判予定
2020年8月27日午前10時半 411号法廷。
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

アーカイブ
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ