書評・本の紹介

戦争と性 2019年・春号

戦争と性 2019年・春号

天皇代替わりに向けて、テレビの報道は異常さを極めています。神話上の神武天皇を実在の人物かのように扱い、天皇家の歴史が日本の歴史であるかのように放送しています。コメンテーターは誰一人異論を述べない・・・。
菊タブーは民主主義破壊です。憲法第1条にある象徴天皇制が、人権や民主主義を定めた憲法そのものを根本から掘り崩している状況です。主権者は天皇ではなく私たち。私たちは主権者として、天皇制について自由に議論し、自由に意見表明していきましょう!(林)
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「障害児の休日クラブ」 ~厳しく楽しい知的障害者向けの 空手道場の歩み~さぽーと 2019年2月号

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「障害児の休日クラブ」
~厳しく楽しい知的障害者向けの
空手道場の歩み~
さぽーと2019年2月
日本知的障害者福祉協会

あきる野市には障害者スポーツ教室を開催しているスポーツクラブASportがありますが、今月号のさぽーとで紹介されているのは、知的障害者向けの空手道場を開いている「障害児の休日クラブ」です。一般的な障害者スポーツとしてはなかなかイメージできない空手ですが、さぽーと編集者のMさん(南部労組・知的障害福祉協会で活躍されています。)が道場を訪れて稽古に参加されています。
何度見てもスゴイ!このクラブは健常児のメンバーもいて、障害のあるなしに関わらず一緒に稽古をしているそうです。武道のイメージを変える取り組みだと思いました。(林)

視点 水増し問題の正体は 「すべての人の社会 2018.9」

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視点 水増し問題の正体は

NPO法人日本障害者協議会代表 藤井 克徳

 政府による改ざんやねつ造のたぐいは、だいぶ免疫がついていたはずだったが、今般の「水増し問題」はいささか次元を異にする。障害分野にとっては、これまでにない、そして言いようのない違和感を覚える。はっきり言って、恐ろしさを禁じ得ないのである。「水増し」が、あまりに大々的で、40年余の長きにわたって続けられてきたことも驚愕であり、大問題であるが、恐ろしさの正体はそこではない。正体の本質は、省庁に通底する「障害者排除」の姿勢である。

 具体的に言えば、「新規の障害者は雇い入れたくない/しかし法定の雇用率はクリアしなければならない/しからば省内から障害者を探し出そう/それが難しい場合は「障害者」をつくり出そう」というものである。さらに深読みすれば、そこには「新たに障害者が入って来るとうちの省の戦力が低下してしまうのでは」「能力があるかどうかはわからないが何となく障害者はうっとうしい」「職場の雰囲気やバランスが崩れるのでは」などの考え方が透けて見えてくる。とにもかくにも、内部の「障害者」で必要な数値を埋めてしまい、新規の障害者雇用を極力抑えようというものである。

 この段で、ふと頭に浮かぶことがある。それは、優生思想である。「理想の社会は強い者のみが残り、弱い者や劣った者は消えてもらいましょう」が重なってくるのである。余りの飛躍なのか、それとも無関係とは言えないのか。こうした考え方は、縦割り行政をあっさりと超えて、各省庁の人事部署に伝染していくこととなった。

 今般の「水増し問題」が問うている重要なテーマの一つは、そもそも障害者雇用政策とは何かということである。障害者には、例外なく何らかの機能障害があり、多くの障害者はこの機能障害が労働力に影響を及ぼすことになる。障害者が職場で力を発揮しやすくするためには、機能障害を補う支援が決定的な意味を持つ。この「支援」こそが、一般雇用政策ではなく、障害者雇用政策といわれる所以なのである。

 障害者権利条約では、「合理的配慮」という概念で、個々人に対応した支援を特段重視している。合理的配慮の不提供は差別に当たるとも明言している。それが過度な負担であれば免れるとされるが、範を垂れるべき政府の機関にあって、「過度な負担」の乱発は許されない。

 政府の障害者雇用に漂うのは、「現状の条件(人的・物的環境)を変えない範囲での障害者雇用」である。合理的配慮の追及など、全くと言っていいほど感じられない。

 ここで、あらためて政府を中心とする公的な部門での障害者雇用の意義について考えてみたい。第一義的には、障害者にとって安定した働く場が得られることである。国と自治体、独立行政法人が法定雇用率を完全に達成すれば、約5万人の障害者が公的な部門に就けるのである。

 もう一つ重要なことがある。それは、公的な部門で働く障害者の存在そのものに、かけがえのない役割があるということである。個々の省庁からの政策発信に、障害者の存在は少なからず影響することになろう。政策の多くは、原局(原課)で練られることになる。素案づくりの過程で、障害者の視点が入るのとそうでないとでは決定的な差異が生じるに違いない。この他、省庁の物理的な環境にも、職員の市民に対する対応にも変化が生まれるかもしれない。もちろん、ここでの「障害者」は、内部から無理やり探し出したり、つくり出すものであってはならない。

 前代未聞の不祥事を前にして、まず成さなければならないのは検証である。検証に際して最も大事になるのが、「何をするのか」ではなく、「誰がするのか」である。障害当事者の代表を加えた実質的な検証体制としなければならない。

まんがでゼロからわかるブラック企業とのたたかい方

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手をつなぐ 2018年6月号 全国手をつなぐ育成会連合会

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手をつなぐ 2018年6月号
全国手をつなぐ育成会連合会

旧優生保護法下での強制不妊手術について、育成会のこれまでの姿勢と現在の見解が「手をつなぐ」6月号に掲載されています。強制不妊手術は現代の人権感覚からすれば許されないことです。しかし、それは決して家族の悪意にもとづいたものだと一面化できないことがわかります。また、家族の判断には政治経済的な社会背景があったことが記されています。しかし、それは手術を受けた当事者を抜きにした、手術する側の論理であることは言うまでもありません。

「現代の人権基準で歴史を裁くことはおかしい」とは、従軍慰安婦問題でよく聞く言葉です。しかし、現代の基準で見直さなければ、すべての人類の歴史の負の部分は免罪されてしまいます。過去は現代の基準で評価することで未来の方向性が示されます。ハンセン病患者の隔離収容政策については、ハンセン病当事者の粘り強い運動によって国は患者に謝罪しました。隔離収容政策が続く精神科医療分野でも国家賠償を求める動きがあります。現代の人権基準とは、される側の論理が貫かれているかどうかです。

ひるがえって、私たちの仕事はどうでしょうか?私たちがいくら入所施設を「必要悪」、「最後のセーフティネット」と考えていても、収容施設としての施設の機能は変わりません。将来、「昔、知的障害者は施設に集められて暮らしていたんだよね。」という時代が到来し、入所施設が非人間的処遇の筆頭として世に語り継がれるかもしれません。残念ながら、今の私にはその具体的道筋が想像つきません。

「手をつなぐ」6月号を読んで、改めて私たちの仕事が歴史の流れの中にあること思い知らされました。入所施設で働く私たちは、今の仕事が未来永劫続く絶対的なものではないことを自覚しながら働く必要があります。働きがい、やりがいなどは職員の側の論理に過ぎないことを肝に銘じながら。(林)
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