新型コロナウィルスが露呈したもの

政権与党が具体的で迅速な行動ができず抽象的な掛け声に終始。基礎データの軽視。公文書廃棄、改ざん、捏造。隠蔽。関与した当事者の自死。露骨な論功行賞。権力集団の利権化と周囲の忖度。意思決定プロセスの非開示。根拠にもとづかない思いつき政策。総括なき方針。前例主義や変えられないルール。責任転嫁と開き直り・・・。

労働安全衛生委員会議事録改ざん、不開示で青梅労基署からの指導。「支援のドラマ」「東京一幸せなるよりどころ」といった抽象的キャッチコピー。運営上の問題点と改善策の具体的提示なし。東京事業本部長、施設長が突然姿を消し職員に何の説明もないまま後任が就任。職員のメンタル不調と休業。労使合意不履行とノンコンプライアンス、職員研修の減少、事業計画、予算説明会の消滅・・・。

新型コロナウィルス感染症流行のはるか以前から、日の出福祉園は極端な人手不足だった。利用者の原因不明のケガ、骨折が相次いでいたが、法人は新棟建替えに伴う一人夜勤体制を実施。生活介護優先の勤務体制、人員配置は、施設入所支援をおろそかにした。食事、睡眠、排泄という人間の生活の基本に対する支援が、日中活動支援よりも低い次元のものとして位置づけられた。おのずと体調不良者への支援がままならなくなる。てんかん発作重積で救急搬送された利用者の情報が当該棟の夜勤スタッフに引き継がれない、インフルエンザの流行時に発熱しても隔離対応ができない、依然続発する原因不明のケガ・・・。この間、医務スタッフは警鐘を鳴らし続けていたが、法人の組織的な中間総括はなされなかった。精神障害医療保健福祉分野では、当事者の住む場所も日中活動も人間関係も一挙に変化させるようなケースワークはありえない。「暮らし変え」の主語は誰か?行為主体は支援者側であるという事実が、利用者主体の言葉で粉飾される。支援関係における主語と述語の転倒。そこに法人がどれだけ自覚的であったか?利用者の環境変化の大きい期間にわずか1回だけ開催されたリスクマネジメント委員会では、利用者の健康・安全管理は議題とならず。何より、新棟では現場の棟スタッフが参加する会議が消滅した。リーダー層の決定事項が降りてくるだけで、現場の支援スタッフが目の前の利用者について話し合う機会が無い。こんな支援現場がいったいどこにあるだろうか?ケース会議のない対人援助など、同愛会以外、どこに存在するのか?組織の風通しなど問題にならない、まさに密室空間である。

こんなことではノロウィルスや疥癬が出たらとても対応できないと医務が棟に伝えていた矢先の、新型コロナウィルス感染症である。いまや、ケース会議どころではなくなった。日常的な安全管理、感染管理ができていないなかでコロナ対策に直面せざるをえない状況は、マイナス地点からのスタートであった。ウィルスがそれを一挙にプラスに変えるはずもなく、現在でも組織運営の基調は変わらない。それどころか、医務不要論さえ運営会議周辺から聞こえてくる有様。与えられた命題に忠実で、上司に忖度せず論理的に思考し自主的に発言する訓練を積んでこなかった職員集団の組織風土は、未知のウィルスのパンデミックに直面してもなお、他人事のような空気を漂わせている。自分が障害当事者であったなら、こんなところで暮らしたいか?

 パンデミックという非常事態の対応に求められているのは、平常時の労働安全衛生活動と常識的な組織運営である。労働安全衛生委員会が機能し労働安全衛生活動を積み重ねてきた日の出福祉園でも、中間リーダー層の労働安全衛生活動の理解は道半ばである。その上、振り返りのないやりっ放しの支援を非常識だと考えない組織運営が続けば、コロナ禍からは逃れられないだろう。新型コロナウィルスは人に感染症をもたらすだけでなく、組織の病理もまた、つまびらかにする。
(日の出福祉園労働者代表 医務 林武文)