2月21日、星野文昭さんの国家賠償請求訴訟の提訴が
東京地裁に提出されました。①
医師 吉川健明

2月21日、星野文昭さんの国家賠償請求訴訟の提訴が東京地裁に提出されました。
星野文昭さんの昨年5月の獄死が国(徳島刑務所と東日本成人矯正医療センター)の不法不当な行為に基づくものであることを訴えるものです。
原告は星野暁子さんら親族、弁護団は全国から104人の弁護士が名を連ねました。
午後に記者会見が行われ、多くの記者が集まり、翌日の新聞にも報じられました。
肝臓癌の診断を遅らせ、更生保護委員会への仮釈放審理を妨害した徳島刑務所の責は極めて大きい。肝臓に巨大な腫瘤があると知ったのに「保安上の理由」と堂々と言って星野文昭さん本人にも隠し治療を遅らせたのです。
医療センターは、巨大肝臓がんの治療について十分で慎重な検討もせず切除ありきで手術を強行、術中出血が4000ccを超えているのに集中治療室にも入れず、術後すぐに出血性ショックになっているにもかかわらず、星野さんを置き去りにして、執刀医も助手も麻酔科医も主治医も帰ってしまった。夜間の23時から翌朝5時まで何の治療行為もせず放置されいた。星野さんの死は国家犯罪そのものです。

1971年11月、沖縄返還協定の批准に反対するからデモが渋谷でおこなわれ、星野さんはそのデモのリーダーの一人でした。当時の佐藤政権が進める沖縄返還とは、沖縄県民の願いを踏みにじって米軍基地を存続させ、自衛隊も送り込もうとするもので、今日の辺野古基地建設の強行につながるものです。このデモの衝突で機動隊員1名が死亡したことで星野さんは実行犯にでっち上げられ無期懲役刑とされました。これは70年安保沖縄闘争に対する報復弾圧です。
星野文昭さんは獄中で暁子さんと出会い結婚し、一貫して非転向を貫き44年間闘ってきました。文昭さんは獄中で200点に上る水彩画を描いてます。子供のいなかった二人ですが残された絵が愛と平和を訴えています。