20世紀は先進国の国民にとって「労働者の黄金時代」でした。名目GDPの増加率と同じだけ雇用者報酬が増え、企業利潤も同率で増加した時代です。国民の中産階層化がすすみ、資本主義と民主主義はセカンドベストとして利害の一致を見いだしていました。しかし、その実態を地球規模でみた場合、2割の先進国が8割の途上国を貧しいままに発展していました。その格差の存在が富の源でもありました。
 ところが、自国内における投資が行き渡ってしまった以降、資本は「周辺」を国外、つまり労働力商品の安い発展途上国に求めました。産業の空洞化です。その結果、近年、新興国が経済力を強めることになり、先進国はどの国をとっても自国内での実物経済の復活、大量生産大量消費、高利潤を得ることは幻影を求めることになりました。
 更に、グローバル化は先進国のバブルとその崩壊を繰り返すなかで、自国内の中産階層を崩壊させ、人々の二極化を拡大させることになりました。自国民のなかでの格差拡大です。近年のアメリカについては、堤未果氏の近著「(株)貧困大国アメリカ」(岩波新書)に株式会社化された社会(コーポラティズム化した国家)が詳しくルポルタージュされています。
 日本はバブル崩壊後、ゼロ金利状態が20年続いてきました。GDPもほぼ一定状態を保ちながらも、企業はこの間利潤率を高めるために資本投資を海外に求めてきました。政治は新自由主義の政策である労働市場の規制緩和をすすめています。その結果、非正規労働者が38%にも達し、年収200万円以下のワーキングプアが1100万人、4人に1人という貧困状況が深まっています。
リーマンショック以降のアメリカをはじめEU諸国は金利ゼロ政策から脱却することができません。金融資本は投資先を新興国・BRICSに求めますが、実物経済を上回る金融資本は必然としてバブルを生じさせることになり、新興国における中産階層の形成や民主主義発展を阻害させることになります。先進国12億の人々の暮らしと同様な暮らしを、58億の新興国の人々が到達することができるのでしょうか。国民国家を超えたグローバル企業はそれぞれの国で富の二極化をすすめます。が、人類が生存可能な未来を展望できるのでしょうか。オイルショック以前、石油は1ガロン2~3ドルでした。現在、1ガロン100ドルを超えています。また、食料は人々の飢えを満たすだけの生産が可能となるのでしょうか。
 資本は「中心」」から「周辺」に向けて、「より速く・より遠くに・合理的」にと利嘩を求めて拡大していきました。が、グローバル化は地上から「周辺」を消失させ、資本が国家を操る事態になっています。しかし、残念ながら「電子・金融空間」を制御する仕組みをもつ世界政府の誕生は非現実的ですし、国連はその機能を持つに至っていません。現実の国々は未来図を描くことなく資本主義の終わりを迎えることになるかもしれません。経済成長のない資本主義は、資本が利潤を得ることのできない事態となります。資本主義の終わりを見据え、新たな思想と社会の仕組みを構築しなければなりません。その一つに「定常化社会」の実現があります。定常化社会とは経済成長を絶対的な目標としなくとも豊かさが実現されていく社会です。