職員の労働環境について考える
―選ばれる職場であるために―その2
日本知的障害者福祉協会
本号は職員の労働環境を特集しながら、その内容は必ずしも真正面から労働問題に向き合ったものになっていません。むしろ、経営の観点から人材育成などの経営論やチームワークや専門性についての記事が半分を占めます。それらは職員の労働環境と言うより、組織論、支援論の範疇でもっと深められるべきであり、せっかくの特集もそれらの記事で論点が曖昧化してしまっています。
これは、日本知的障害者福祉協会が労働団体でもなく職能団体でもない、業界団体であることの限界かも知れません。本特集の続編があるとすれば、もっと焦点が絞られたものになることを期待します。その上で障害当事者の労働問題も取り上げて、障害者雇用や就労支援が福祉の問題であると同時に労働問題であり、支援論として重要であることを浮き彫りにするような内容であってほしいと思います。
特集の趣旨からもっとも遠い論文が「ドラッカーの5つの質問」です。
ここには「ミッション」、「顧客」、「成果」などの言葉が躍っています。福祉実践が商取引として語られ、一見、支援者と障害当事者の関係がサービス(商品)提供者と受益者(消費者)という商取引の二者関係で説明されているように見えます。ここには障害当事者の働く権利や、その権利保障など一言もありません。本号の「看取りを考える」という高山理事長の記事にもありますが、共同作業所作りの運動の中では、支援者は障害当事者を「なかま」と呼んできました。全国福祉保育労てらん分会長も「なかま」と呼びます。同愛会横浜はその思想が息づいているのかもしれませんが、東京事業本部では先日の説明会で「顧客」として説明されたばかりです。それはさておき、この論文によれば、こと就労移行支援事業において障害当事者は、仲間どころか「顧客」でさえもなく、「商品」でしかありません。
これは福祉サービス利用者を「顧客」とする新自由主義的福祉民営化路線よりも、さらに一歩進んだ発想です。この論文では「顧客」は利用者である障害当事者ではなく、「組織の活動とその提供するものに価値を見出す人」とされますから、障害当事者は事業所の労働力としてしか位置づけられません。そして就労移行支援においては「商品」です。まるで芸能プロダクションか、人材派遣会社のようではありませんか。商取引の論理を貫徹すれば、就労支援という福祉実践そのものが消滅してしまうことを、ものの見事に現しています。
さらに論文は、障害者の所得保障は重要な課題だといいながら、「所得保障のための工賃向上を目標にして本当によいのでしょうか」と疑問を呈しています。工賃向上は支援者のミッションではなく、「障害者があるミッションに従って行動したことによる結果が工賃ではないでしょうか」とドラッカーを引き合いに提起しています。
障害当事者の所得保障のための支援者の努力を否定して、商品を購入してくれる消費者の最大利益の実現をミッションとするのなら、働く障害当事者はモノ化されてしまいます。それは一言でいうならば、功利主義的人間観です。そういった人間のモノ化思想がブラック企業を生み出し、過労死、メンタルヘルス問題など、数多くの労働問題を引き起こして日本社会を根底から崩しつつつあることに、筆者はなぜ気が付かないのでしょうか?
筆者の過ちは、企業経営の指南本を手掛かりに福祉そのものを語っていることです。現実の社会問題に向き合わずに、どうして社会福祉が実践できるのでしょうか?
今号には、前述した高山理事長の「看取りを考える」の他にも、風の通り道というエッセイのコーナーにも考えさせられる記事がありました。ぜひご一読を。(林)