「夜明け前のこどもたち」1968年 監督:柳沢寿男

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西日本で初めて作られた重症心身障害児施設のびわこ学園の映画です。どんなに重い障害があっても子どもたちの発達の可能性を信じて、手探りで療育にあたるびわこ学園の取り組みが映し出されています。

私は20年前に第二びわこ学園で働いた事があります。映画は知っていたけど見たのは初めてでした。知っている園生(当時はこう呼んでました)の子ども時代の様子や、杏の木があった坂道を職員や園生や学生たちが作った事を初めて知りました。あの時やっていた石運びにはこんな歴史があったんだ…

どんなに重い障害があってもその人の発達を保障しようという発達保障の思想と運動は、学校教育からも排除されていた重い障害を持つ子どもたちへの貴重な取り組みだったのは間違いないと思います。でもその発達のゴールはどこに置かれていたのでしょうか?療育の取り組みによって子どもたちの夜は明けたのでしょうか?そもそも夜明け前だったのでしょうか?おとなになっていた20年前の彼らは、映画の
子ども時代とそれほど変わりがなく、実に個性豊かに生きていました。

社会ではその後、発達のためのおあずけの人生とは?発達に目的づけられた生活じゃなくありのままの姿で何が悪いのか?そもそも人間は発達しなければならないのか?といった発達を問い直す思想と運動が登場し、医療、福祉、教育、保育の現場で発達保障論と激しく対立していきます。

といっても、びわこ学園は施設内への隔離収容主義・訓練主義で貫かれているわけではなく、映画では外や町に出かけていく様子が映されています。私が勤めていた頃も毎日のように外に出ていました。発達保障論は障害を持つ子どもたちの発達だけでなく、彼らと接する社会の側の発達も視野に入れていたという点で、決して隔離収容主義や訓練主義とイコールではありません。

当時の職員の在職期間は2年。私もたった1年半弱の経験。映画の時代も20年前も、重症心身障害児だけでなく「周辺児」として重度の身体障害を持つ人たちが入所していました。エンディングで、職員の退職に「なんでや?」「なんで?」と問う子どもたちの声。それでもいいんだというナレーション。数えられないくらい多くの人たちが、彼らと関わったでしょう。その後の自分の生き方を振り返らせる言葉でした。

上映は2月3日にあと一回。職場が重症児施設かどうかに関わらず、多くの人に見てほしいと思います。  (林)