2020年07月

京都市内で起きたALS患者の嘱託殺人事件についての見解

2020年7月28日

京都市内で起きたALS患者の嘱託殺人事件についての見解
日本自立生活センターHP

日本自立生活センター 代表矢吹文敏
京都市南区東九条松田町28メゾングラース京都十条101
電話075-671-8484 FAX075-671-8418


 ALS患者に対する嘱託殺人の容疑で、2020年7月23日、医師2名が逮捕されました。亡くなられた方のご冥福をお祈りすると同時に、今回の事件に対する日本自立生活センターの見解を述べます。


●人を死なせたかった医師による「嘱託殺人」

 今回の事件は、バレずに人を死なせたいという思いを実行した医師らによる明らかな「嘱託殺人」事件です。容疑者二人は、「医療に紛れて人を死なせる」すべを描いた『扱いに困った高齢者を「枯らす」技術』という電子書籍も出版していました。しかも130万円受け取って実行したとも報道されています。
 医師という肩書を乱用して、人を生かすのではなく死なせようとし、また、お金を受け取って人を殺害することは許されるべきことではありません。
 この医師らがこれまで同様の犯罪を犯していないかどうか、余罪の追及もされるべきです。


●死ではなく生きる方向へと支えること

 一方で、本人が安楽死を願っていた、とも言われています。「本人が死にたいという思いをかなえてやったのだから良いではないか。」と考える方がおられるかもしれません。
 しかし、たとえば芸能人や有名人の自死に対しては、世間の人は同じような反応を示したでしょうか?「心の弱っている子」を狙ったとされる「座間9遺体事件」のとき、私たちはその若者たちの死を肯定したでしょうか?
 私たちが毎日を生きると言うことの中では、云われのない誹謗中傷を受けたり、生活の糧である職を失ったり、親しい者の死や失恋による心の傷、パワハラ、いじめ、さらに不治の病や障害など、死にたいと思う理由はいくらでもあります。
 仮にもせよ私たちの社会が、病や障害を自死の理由として、積極的に死を選ぶことが正当化され許される社会ならば、それは明らかに間違ったものです。
 今日の普通の生活では、自分の身辺の人が何らかの理由で「死にたい!」という意思表示を行なった場合、周囲の人たちはその思いを受け止めつつも死ではなく生の方向へと支えようとするのが当たり前のことです。その自死の意思を示した人が、難病や障害、高齢などの要因をプラスされた方であるとしても、その扱いに違いが生じてはならないことは言うまでもありません。
 たとえ死にたいと思うことがあっても、本人を支えて、死ぬことではなく生き続けることに向かえるようにすることが、自殺大国である日本社会の責任のはずです。死にたいなら、死んでもいい、死んでくれ、というような社会であってはなりません。


●死にたいと思わせる社会が問題だ

 人が死にたいと思うとき、そこには必ず人間関係上の問題や社会的要因があります。難病患者や障害者をとりまく現代の社会状況は、今なお厳しいものがあります。私たちの生を否定するようなメッセージがしばしば聞こえてきます。
 医療や介護の社会資源も不足し、多くの現場が疲弊しているため、場合によっては、医療者や介護者からも否定的メッセージを受け取ることもあります。
 難病患者や障害者たちへの差別や偏見の解消、そして介護・医療の受け手と担い手、双方ともに安心して生きられるだけの医療や介護の充実、それらがまず目指されるべきものです。


●相模原障害者殺傷事件と今回のALS患者嘱託殺人事件の共通点

 くしくも、相模原障害者殺傷事件から4年目と重なりました。意思疎通のとれない人はいらないと考え障害者43名を死傷させた死刑囚と、高齢者や重度障害者を「死なせたい」と考え自ら犯行を提案し実行した今回の容疑者とは、根っこは共通です。同時に、こうした事件が起きると、安楽死や尊厳死の合法化の議論を望む人々も必ず現れます。
 今、この社会の水面下で、重度障害のある人の安楽死を肯定しかねない議論があることに、私たちはきわめて大きな危機感を抱きます。今回のような事件を見ると、すでに見えないところで(本人の意に反したものも含めて)さまざまな形態の安楽死を擬した殺人が行われているのではないかという危惧の念も抱きます。
 私たちの命を奪いかねないような議論はやめてください。私たちの命に充実や楽しみや励みを与えるような議論をもっと行ってください。


●「自殺ほう助」や「嘱託殺人」の合法化はあってはならない

 こうした事件が起きると、自殺ほう助や嘱託殺人(いわゆる安楽死)の合法化の議論が起きます。しかし、国が、人が死ぬことを手助けするような法制度をつくるべきではありません。国は、人が生きるための手助けをする法制度をつくるべきです。死にたいと思っている人が、どうしたら生きたいと思うようになるか、それを実現するための法制度をしっかり考えていくのが国の責任です。

以上

デリヘルで宣伝文句にされる知的障害のある女性 ~性風俗にいる障害女性 前編~

PAPSぱっぷすHPより

 ぱっぷすではかねがね性風俗やアダルトビデオの撮影現場で知的障害がある女性たちが搾取されている惨状について問題意識を持っていました。しかしなかなかストレートにその問題に近くづくことができなくて悩んでいます。

 7月初旬、Twitter上で話題になっていて、知的障害のある女性を雇用している風俗店を見つけたが法的な問題はないのかという第三者通報が寄せられました。・・・・

横田基地所属空軍兵の飲酒運転による交通事故について

市議会が「横田基地の基地機能強化に関する決議」を可決(令和2年7月27日)

福生2
福生3

特集「ヒヤリハットからにこりほっとへ」 さぽーと2020.7月号 日本知的障害者福祉協会

さぽーと202007特集「ヒヤリハットからにこりほっとへ」
さぽーと2020.7月号 日本知的障害者福祉協会

面白い特集です。はじめに登場するのは「入居者とスタッフの笑顔を増やす介護 『にやりほっと』の取り組みについて」という介護保険事業を運営する株式会社長谷工シニアホールディングス。さぽーとに営利法人の介護保険事業所が取り上げられるのは、これまでになかったことではないでしょうか?

タイトルにあるように、論文には支援ではなく介護と記されています。にやりほっとの取り組みを記した「魔法の介護」という本も紹介されています。
かつて日の出福祉園では「それは介護だよね、支援じゃないよね。」といった指導が中間リーダー層職員から一般職員になされていた時代がありました。利用者さんの高齢化と重度化にともない、日常生活に介護が必要な人たちがたくさんいるにもかかわらず、当時の施設長や指導的立場の職員が知的障害福祉の仕事は介護ではないという考えをもっていたからでした。

現在もその思想は知的障害福祉の領域に根強くあるようです。昨年度の同愛会東京事業本部の職員研修では、知的障害福祉の仕事を特徴づけるものとして「意思決定支援」が「介護」に対置されるものとして説明されました。(意思決定支援はもともと医療の領域の言葉で、福祉領域でも知的障害福祉だけに求められるものではありません。)介護の必要な利用者さんを目の前にして、知的障害者というラベルで介護を否定する。これがラベリングの恐ろしさです。

現代の支援はストレングスモデルにもとづくエンパワメントです。日の出福祉園で取り組んでいたSSTも、いいところ探しが肝でした。にやりほっと(にこりほっと)は利用者さんのストレングスに着目してそれを支援者みんなで共有しようという試みです。SSTのように時間は取らないので、例えば朝の連絡会での1分間スピーチや園内メールなどを使って各部署持ち回りで発表するなど、やり方は色々と工夫できると思います。

営利法人、特に知的障害福祉以外の領域の事業所の実践がさぽーとに掲載される意義はとても大きいと思います。人間の支援に障害種別は関係がありません。今後も障害種別を超えて事業所の取り組みを紹介してほしいと思いました。(林)
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

アーカイブ
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ