2013年06月

障害のある人の生活を脅かす生活保護法改正に反対する声明

障害のある人の生活を脅かす生活保護法改正に反対する声明
   2013年6月20日
   きょうされん常任理事会 
 現在、通常国会で審議されている生活保護法改正案(以下、改正案)に対して、きょうされんは強く反対の意を表明する。これに先立つ5月16日に2013年度予算が確定したことで、3年をかけて行われる生活保護基準引き下げの第一弾が8月には実施される。追い打ちをかけるように、生活保護制度を必要とする人たちを締め出そうとするのが今般の改正案である。その内容は、国民の最低限度の生活を保障するはずの生活保護制度を根本から崩す改悪にほかならない。

 1万人を超える回答を集めたきょうされんの「障害のある人の地域生活実態調査」(2012年)は、生活保護問題と障害者問題が密接にかかわっていることを明らかにした。国民全体の中で生活保護を受給している人の割合が1.5%であるのに対して、本調査では障害のある人の10.0%が受給しており、その割合は6倍以上となっている。とりわけ「精神障害がある」と回答した人のうち、実に20%余が受給している。生活保護制度は、障害のある人のきわめて厳しい所得状況を下支えしている重要なセーフティネットになっている。 

 それにもかかわらず改正案では、利用にあたって書面での受給申請とするなど「水際作戦」と呼ばれていた違法な対応を合法化して受給しづらくすることに加えて、受給者に対して後発医薬品の使用を促進して医療水準の平等性を奪うこと、健康の増進や適切な生計の把握など受給者に生活上の義務を一層課すことなど、人権保障や社会保障の観点とは真逆をいく施策が並べたてられている。

 とりわけ、扶養義務の強化については看過できない。改正案では、自治体が生活保護を申請した人の親族等から扶養に関する報告を求めることができるようになる上に、その対象は過去に生活保護を受給していた人にまで及ぶとされている。障害分野の歴史は、家族依存からいかに脱却するかの運動の歴史でもあった。しかし、先の調査では障害のある人の98.9%までが年収200万円以下のいわゆるワーキングプアの状態にありながら生活保護の受給者は10.0%にとどまっており、今も圧倒的多数が家族との同居などで生活を成り立たせているのが実情だ。今回の措置は一層、自己責任と家族依存を強めるものであり、障害者権利条約がめざす方向とも相いれない。

 生活保護基準の引き下げや改正案による運用面での改悪、そして6月14日に閣議決定された経済財政運営の基本指針(骨太方針)で明示されたさらなる生活保護制度の見直し(加算や扶助の給付見直し)の一連の方向が具体化されれば、憲法25条でうたわれる国民の最低限度の生活保障が崩壊し、より困難な状況にある障害のある人たちの生活は致命的な影響を受けることになる。

 あらためて表明する。障害者権利条約の批准を見据え、障害の有無に関わらず共生できる社会をめざすわたしたちにとって、この法案を到底受け入れることはできない。わたしたちは生活保護制度について、関係する諸団体とともに引き続き運動を進めていく所存である。

「いじめ防止対策推進法案」に対する意見書

「いじめ防止対策推進法案」に対する意見書
 
 2013年6月20日
日本弁護士連合会
本意見書について
日弁連は、2013年6月20日付けで「いじめ防止対策推進法案」に対する意見書を取りまとめ、同日付けで文部科学大臣、各政党などに提出しました。

本意見書の趣旨
1 いじめ防止対策推進法案(以下「法律案」という。)が、いじめ防止のための対策に関する施策の推進を図ろうとしている点は評価できるが、その方策として掲げる「道徳教育及び体験活動等の充実」については、道徳を教え込むようなものではなく、法律案自体も認める「いじめの防止に資する活動であって当該学校に在籍する児童等が自主的に行うもの」を中心とするものにすべきである。

2 法律案は、起きてしまったいじめへの対処について、いじめを受けた児童等への支援といじめを行った児童等への指導という二者間の対峙的な対処としているが、いじめの原因を探求してこれに対処すること、いじめを集団の構造的問題と捉えいじめの四層構造を踏まえて集団全体や観衆・傍観者に当たる児童等への対応も行うことが明記されるべきである。

3 法律案は、いじめを受けた児童等の支援や教育を受ける権利等への配慮のみを強調し、いじめを行った児童等に対しては指導・懲戒・警察への通報等を定めているが、いじめを行った児童等についても、支援や教育を受ける権利等への配慮が必要であることが明記されるべきである。 

4 法律案は、保護者についても、いじめを受けた児童等の保護者に対しては支援、いじめを行った児童等の保護者に対しては助言、と対峙的な対処を定めているが、いじめを行った児童等の保護者についても、支援が必要なことが明記されるべきである。

5 法律案は、保護者に児童等がいじめを行うことのないよう規範意識を養うための指導その他の必要な指導を行うよう努める義務を課しているが、このような規定は設けるべきでない。

6 法律案は、重大ないじめ事案への対処として、学校・地方公共団体に調査を行う組織・機関を設置すると定めているが、いじめ防止の目的も含め常設の子どもの権利に関する第三者機関を設けることとすべきである。  

「過労社会 つぶされる若者たち」

Yahoo!JAPANみんなの政治に、こんな特集があります。
「過労社会 つぶされる若者たち」

過労死、ブラック企業に関するの各メディアの記事や、相談窓口への関連リンクもあります。(ジジ

 

第10回団交渉追加議題の申し入れ

6月21日本日、第10回団交の追加議題を法人、東京事業本部へ申し入れました。

次回団体交渉の追加議題の申し入れ
 日の出福祉園労働安全衛生委員会は、昨年11月に青梅労働基準監督署からの行政指導を受け、その指導をもとに施設長を議長に事務長、衛生管理者、各棟課長が委員会の事業所側委員として任命されています。しかし、A事務長は任命後一度も委員会に参加しておりません。事務長は正規に任命された委員であることに加え、これまでの委員会の議論の中で出席の必要性が確認されてきました。そこで今年度4月の委員会では、施設長の業務命令で出席させることが決まりましたが、5月の委員会では逆に、施設長より事務長を委員から外したい旨が伝えられました。そこで、再度、事務長の参加を労働者側委員が要請し、管理職会議で諮るという事になりました。その結果、その後の管理職会議でA事務長の委員交代が決まり、その旨が6月の委員会で施設長より報告されました。

 A事務長は、一昨年度内に消化できなかった年間休日数を、当該職員に無断で休日出勤したように振替える指示を当時の棟事務スタッフに出したり、職員の業務災害に労災適用をしないよう指示したり、正規職員と面談し非正規職員に雇用身分を変更しようとしたりと、これまで労働安全衛生活動に反するような行動を重ねてきました。A事務長こそは、労働安全衛生委員会に出席して労働安全衛生活動をもっとも学ぶべき管理者です。

 さらに、A事務長はルクルの事業管理者を兼務しています。委員会への参加を要請した労働者側委員が、ルクルの労働安全衛生活動は具体的にどんな計画なのか尋ねても、事務長は全く答えられませんでした。労働安全衛生委員会の設置義務がなくても、西多摩事業部で一体的に取り組むという委員会の決定により、これまで秋川ハイムからも委員がオブザーバー参加していました。ルクルからは参加がありませんが、A事務長はルクルの事業管理者を兼務しているので、この点からも委員会への出席は当然です。
要求項目
1、日の出福祉園A事務長を日の出福祉園労働安全衛生委員会事業者側委員として出席させること
以上

柴田洋弥「生活介護事業における意思決定支援」 さぽーと2013.06 日本知的障害者福祉協会

柴田洋弥「生活介護事業における意思決定支援」
さぽーと2013.06 日本知的障害者福祉協会
ふたたび柴田氏の意思決定支援論です。概略は今まで柴田氏の主張と大きく変わりがありません。タイトルが示すほど生活介護の場面についての記述は多くはありません。

柴田氏の利用者を主体とする視点に偽りはないと思います。
生活介護や就労B型の事業所には利用者への労働指揮命令権は無いという指摘のように、訓練主義的な指導―被指導関係=権力関係に対する反発は、柴田氏の支援論の出発点となっていると考えられ、その問題意識はまっとうなもので柴田氏のパーソナリティにもとづいたものだと思います。

しかし、「どんな重い知的障害のある人にも、その人なりの意思があります」と前提するだけなら、その言葉は最重度の知的障害者に関わっている人たちの心に響かないのではないでしょうか?例えば、遷延性の意識障害があるような寝たきりの重症児者にとって意思とは何でしょうか?もちろん、本当に意識障害なのか?閉じ込め症候群かもしれないという問いは不可欠です。意識障害があったとしても、だから意思なんてないと言いきっていいのでしょうか?かといって、そういった状態では判断主体として意思が機能しているわけではありません。私たち健常者の通俗的な解釈でなく、Aさんにとって、Bさんにとって意思って何だろう?と利用者の状態像に即して個別具体的に考えていく作業がなければ、万人に意思がある事を前提に論を立てても、それは観念的なスローガンになってしまうでしょう。http://blogs.yahoo.co.jp/nkl3doai/9708491.html
「こういった人に人格はあるのかね?」石原前都知事の発言は、そういった思索がないままに通俗的な理解から発せられたものです。支援者ではない石原氏には仕方なかったのかもしれませんが。

高谷清「重い障害を生きるということ」には、脳がないのに笑ったかっちゃんのエピソードが紹介されています。

意識障害のある人は、柴田氏が施設長だったころの日の出福祉園にも入所していました。その頃「利用者様は自分の生活を自分で決める権利をもっている」という文章が管理者によって流された事があります。ではCさんにとっての自己決定とは何か?と違和感を抱いた記憶があります。それは、利用者さんの状態像に即した具体的な考察がないままに語られていたからです。
この論文も同様です。ここには支援現場での懐疑や葛藤など柴田氏自身の苦悩が記されておらず、私には支援場面のよき示唆となるようなものが感じられませんでした。

論文は地域移行にも触れられています。
「入所施設からの地域移行も『地域移行させる』のではなく、『地域で暮らしたい』という本人の意思決定が重要です。」
ならば、秋川ハイム、ルクルの開所、地域移行はそういった理念や丁寧なケースワークにもとづいたものだったのか?と、柴田氏に質したくもなります。

この論文が観念的でキレイごとのような印象をもたらすのは、柴田氏の具体的な実践にもとづいたエピソードが皆無だからです。それを語らず、テーゼから支援論を演繹的に語るだけならば、支援現場には響かないのではないでしょうか?高山理事長が4月号に書いたような、「実践現場に当事者主体の実践を取り組む武器」にする手がかりにはならないと思います。
私は「抽象的なキレイきれいごとじゃなくて自分の失敗談をぜひ語ってほしい。」と、柴田氏の後任の日の出福祉園前施設長にも何度も注文しました。果たしてそれは一度も実現される事なく、前施設長は自分の運営の総括もせず、業務の引き継ぎも職員への挨拶もなく日の出福祉園を去っていきました。その前に、柴田氏自身もまたそういう形で同愛会を去ったのです。熱い思いやキレイごとばかりなら、むしろ語らない方がマシなのです。

地域移行をめぐって、柴田氏の同愛会東京事業本部長時代の実践を具体的に振り返るならば、移動支援・重度訪問介護虚偽請求問題に触れざるを得ません。
「意思決定支援」の内実が支援現場の具体的実践で豊富化するものであり、それは私たち支援者の共同作業としてなさるものであるならば、柴田氏が自らの実践を振り返り、その誤りも含めて開示して問題提起していくことこそが、この新しい用語の概念規定に資することになるでしょう。それは知的障害者福祉にとって、大変大きな財産になるはずです。これは決して皮肉ではありません。

「過去は変わる。これからなすことにより、過去の意味は変わっていく。」
過去に向き合うこと。失敗だらけの私も、そう生きていきたいと思います。(ジジ
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