2013年01月

日産婦指針案パブリックコメントへの意見書

日産婦指針案パブリックコメントへの意見書
 
私たちDPI(障害者インターナショナル)日本会議は国連が認めた国際組織の一員として、1986年に発足をしました。現在、身体障害、知的障害、精神障害、難病等、障害種別を超えた、全国88団体が加盟した、特定非営利活動法人として活動を続けてきています。結成以来、四半世紀以上に渡って、障害者の自立と社会参加、権利保障を確立するための活動を進めてきています。
近年は2006年に国連で採択された障害者権利条約の批准に向けて、内閣府に設置された障がい者制度改革推進会議やそれを継承した障害者政策委員会などを通じて、さらにその取組みを強化してきました。とりわけ、全ての障害者の地域での自立した生活の権利の実現を目指して活動を進めています。
 
障害があっても他の人々と同等の、当たり前の暮らしが出来ること、どんなに重い障害があっても、選別されることなくその生命が尊重され、必要な医療や介護を受けながら、その人らしい尊厳ある生を保障される社会こそが、真に求められる社会です。
しかしながら、これまでの歴史上、障害者は、地域社会から排除・分離され、生存そのものを脅かされ、厳しい差別と偏見、排除の中で過酷な生活を強いられてきました。特に、かつて「不幸な子どもの生まれない県民運動」や「優生保護法改悪」など「障害の予防」を掲げた動きの中で、「障害児が生まれてくること自体が不幸」であるかのような、偏見・差別意識が強められてきた事実は、決して忘れられてはなりません。
残念ながら、21世紀の今日においてさえ、障害者の人権が確立したとは到底言える状況ではありません。また、これらの歴史に対する検証・総括も十分なされているとは言えません。
 
そうした中、今回、貴学会が、特定の染色体異常を診断の対象とする出生前遺伝学的検査に関して、指針を作成し、実施を進めようとしていることは、再び、障害児・者に対する偏見・差別を強めかねないものとして、強く反対します。
 
周知の通り、2006年に国連で採択された障害者権利条約では、障害を社会との関係でとらえる「社会モデル」を採用し、第3条一般原則では「差異の尊重、並びに人間の多様性の一環及び人類の一員としての障害のある人の受容」(川島聡=長瀬修仮訳、2008年5月30日付)が規定されています。そして、この障害者権利条約の批准に向けた障害者制度改革が現在進められているところですが、その中でも、「障害の予防」「出生前診断」等と優生思想の関係が大きな問題として取り上げられてきました。
 
2011年に改正された障害者基本法では、それまでの「第三章 障害の予防に関する基本的施策」が「第三章障害の原因となる傷病の予防に関する基本的施策」に改められました。すなわち、障害者の出生や存在そのものに対して否定的なイメージを与える「障害の予防」が削除され、「障害の原因となる傷病の予防」に書き換えられたのです。
 
また、内閣府に置かれている障害者政策委員会は、昨年12月に、「新障害者基本計画に対する意見」をとりまとめました。
その意見では、「尊厳死や出生前診断の議論では重度障害者が切り捨てられないよう配慮するべきである」「障害の原因の除去や早期発見・早期治療は大切だが、それだけを強調すると優生思想につながる懸念がある」との指摘がなされた上で、<新基本計画に盛り込むべき事項>として、【出生前診断等が障害者の生存に対する否定的な見方や施策につながらないようにすること。】との提言が盛り込まれました。
この意見書に基づいて策定される新障害者基本計画は、2013年度から始まります。
 
以上のように、これまでの優生思想とそれに基づく歴史に対する反省、並びに、国連・障害者権利条約(社会モデルや差異の尊重と障害者の受け入れ)、障害者制度改革の動きなどの点から、出生前診断に反対するとともに、貴学会に対して、これらの動向を最大限尊重した取り組みを求めるものです。
 
▼意見書(PDF)はこちら
 
(DPIメルマガより。ジジ

「愛国心」と「同胞愛」~1.27オスプレイ反対デモに参加して

「愛国心」と「同胞愛」        Y・I
 
イメージ 1
私も1月27日日比谷野音での NO OSPREY 東京集会とデモに、所属するコミュニティユニオンの仲間と参加しました。感想を送らせていただきます。

 残念ながら一番印象に残ったのは、「右翼」のおぞましい罵詈雑言、まさに沖縄が差別されている深刻さ、虚偽が創り出す破滅への予感、のような暗いものでした。
 
 銀座を行進している時、デモ隊列側の歩道には「この人達は中国の手先だ」「オスプレイは安全だ」などと叫ぶ者達、反対側の歩道にはぎっしりと日の丸を持った集団がいる一角がありました。要するに彼ら(いくつかのグループ、ネットでの呼びかけに応じた個人の方も居たようです)は、中国に対抗するためにオスプレイが必要で、オスプレイはヘリコプターより安全だ、今日集会を開き目前でデモをしている連中は中国の手先だ、売国奴だ、というようなことを繰り返し叫んでいたのです。

 27日の集会は主催が「オスプレイに反対する沖縄県民大会実行委員会」、沖縄の全41市町村、議会の代表達が檀上には上っていました。会場入口で私は沖縄タイムスの「東京行動特別版」をもらいました。「オスプレイの危険性と沖縄配備による負担増の実態を全国に訴えるため、沖縄タイムス社は特別版の4頁特集を、東京で街頭配布します」と書かれていました。琉球新報も同様な配布とインターネット中継をしていたようです。

 デモに向かってこいつらは中国の手先だ云々と無邪気に声を上げていた日の丸を持った人々は「自分達は愛国者」だと主張しているらしいのですが、この集会は沖縄の全市町村から代表が来たものであることを知っていたのでしょうか。もし「愛国者」だというのならば、自らの同胞の苦しみに自らはどう行動できるのか、それを考え抜くというのが、「愛国者」の資格でしょう。

 同胞である一つの県の全市町村の代表が一緒に政府に建白書を届けざるを得ない、などという異常事態にもかかわらず、問題をすべて「中国」VS「日本」とかの構図内に配置してその中で興奮してしまう思考停止には驚くばかりですが、どこにでも素っ頓狂な人はいるから、という風にそれを軽視できなかったのは、そのような思考停止と同胞愛の欠如が、昨今の生活保護バッシング、公務員叩きなどの妬み僻みパターン言説のマスメディア上での充満、それへの支持、という醜悪な光景と同一であり、今目前でそのことが繰り広げらているのだという生々しさからです。
 
 銀座の車道に面してぎっしりと掲げられた日の丸(小旗ではありません)、彼らから罵声を浴びる沖縄からの上京団、かつて日の丸は沖縄復帰運動のシンボルでもあったと聞きます。デモの先頭を歩いた沖縄の人々はその日の丸から罵声を浴びせられてどう思ったのでしょうか。日比谷公園入口では日の丸を掲げて、沖縄独立というのならどうぞ独立して下さい、と演説している人がいました。
 
 人は誰しもその時代の概念でしか自己規定できないし、とりあえずそこから出発するしかないのでしょう。では、「愛国心」という言葉があったとして、その内実は何なのでしょう。今回の彼らの行動が示す彼らの「愛国心」とは「国家と国家の関係」において自分の所属する「国家」を愛せよ(他との比較において強化・拡張せよ)という形式性に自己循環しており、現実の同胞の姿、苦しみや喜び、人々の生活、が全く欠落した想像空間での概念のようです。おそらく、彼らを「北朝鮮」に移行させれば、彼らはすぐ、北朝鮮国旗を掲揚しないのはけしからん、北朝鮮国歌(実はどんなものか今私は知りませんが)を歌わないのは国賊だと、(ひょっとしたら飢えに苦しんでいるかもしれない?同胞を無視して)「愛国心」を発揮し始めるでしょう。

 しかし、「愛国心」、「この国」を愛するというのなら、「この場所」で暮らしている自らを含めた仲間、同胞がいかにして幸せになれるのかを徹底的に考えなければならないという命題に行かざるを得ないはずです。

 確かに西暦2013年の現時点で、国家、国というのは一つの支配的な自己規定の枠組みではあります。自分達一族の祖先は鷲であったとか、自分達は神様から選ばれた子孫だとかいう自己規定もまだ併存しています。しかし、一方で、人類が地上の様々な現象を整合的に説明するために作り上げてきた理解=即ち「科学」の現時点での到達点によれば、現生人類は何十万年か前にアフリカから地球上に何万年かかけて展開していったと解されているようです。その理解を受験勉強の知識としてではなく、自らの自己意識に「適用」してみるならば「我々」はそのような長い歴史の中で民族とか、国家とか様々な概念を創り出し、敵対したり、共同したり、様々な自己意識をそれぞれの場所で刻み込んできた一つの者である、と理解するしかないでしょう。まさに「同胞」ですね。

 現在、「国家」を、我々を絶対的に区分する最終審級であるかのように語る者達はそのことによって支配の私利を得られる構造の中にいるので、それを自己保持するために無意識的に科学には目を閉じ、人々にも目を閉じさせようとするのでしょう。
 
 銀座で私たちに罵声を浴びせかけていた一人の中年男性に、私は「君は沖縄の新聞を読んだことがあるのか!」と叫び返しました。制服警官が割って入るような形になりましたが、私は彼とじっくりと話をしてみたかった。国を愛するとはどういうことなのだろうか、君は、君自身や君の周りの仲間とどのような暮らしをしたいのですか、と。

 銀座で出会った多くの、私たちに罵声を浴びせかけていた仲間達、彼らの日々の生活がどのようなものなのか、一人ひとり聞いてみたくなる。興奮した声を上げてはいても皆ごく普通の人に見えた。彼らがどのように日々を暮らしているのか、有期雇用を繰り返し明日が見えないと思ってはいないか、正社員で猛烈な残業をさせられてはいないか、何か現実に満たされず、今ここで罵声を浴びせかけることでつかの間の開放感に浸ってはいないか・・・。いや自らの使命に高揚しているのか・・・。

 「初めまして・・」と言ってゆっくり彼らと話し始める姿を私は夢想する。そして「同胞愛」について、我々は今何をなすべきかについて語り合いたい。

※ ショックとモヤモヤを整理するために、ここ数日書き連ねたので、とても長くなってしまいました。最後まで読んで頂いた方ありがとうございます。集会の数日前、私はコミュニティユニオンの旗開きで相談者の若いエチオピア人の夫婦に出会いました。生後二ヶ月の女の子は本当に可愛らしかった。ユニオンでは様々な人と出会ってきました。バングラデッシュ人,ビルマ人、イラン人、日系ブラジル人、中国人、日本人、そして職場でのイジメや不当解雇と闘おうという様々な仕事と世代の男女。確かにそこで出会った多くの人は自らの問題が解決するとその場所を去って行きます。しかし、今回などはユニオンに誘われた結果、銀座で「愛国者」と接近遭遇させてもらい、じっくり考えさせられたのですから、私にとってユニオンは現実の問題を私に降り注いでくれる磁場のようなものなのでしょう。(勘弁してよ!とは言いませんが)。これからもその磁場の中で考えていくことにしましょう。  2013.01.30

*写真は「編集部」

(レイバーネットHPより。ジジ

「尊い生命が奪われた」理由―誰が奪ったのか?

東京都委員会が、高校日本史副読本「江戸から東京へ」を修正するとの事です。
「教科書『江戸から東京へ』の内容の一部修正について 平成25年1月24日  教育庁」  http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2013/01/20n1o400.htm

碑の全文です。
「1923年9月発生した関東大震災の混乱のなかで、あやまった策動と流言蜚語のため6千余名にのぼる朝鮮人が尊い生命を奪われました。私たちは、震災50周年をむかえ、朝鮮人犠牲者を心から追悼します。この事件の真実を識ることは不幸な歴史をくりかえさず、民族差別を無くし、人権を尊重し、善隣友好と平和の大道を拓く礎となると信じます。思想、信条の相違を越えて、この碑の建設に寄せられた日本人の誠意と献身が、日本と朝鮮両民族の永遠の親善の力となることを期待します。1973年9月関東大震災朝鮮人犠牲者追悼行事実行委員会」 

都教委の修正案では、
『関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」は震災発生50年にあたる1973年(昭和48年)に立てられ、碑には、大震災の混乱の中で「朝鮮人の尊い生命が奪われました。」と記されています。』とされています。 http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2013/01/DATA/20n1o400.pdf

これでは、碑の意義がまったく伝わりません。あたかも自然災害で朝鮮人が死亡したかのような記述です。なぜ、尊い生命が奪われたのか?日本人に殺されたからです。日本人の過去の過ちを決して認めたくない人たちは、都合の悪い事をぼかそうとします。こんな教育委員会が、日本人としての自覚や誇りを唱えて国旗国歌を強制しています。

何が良くて何が悪かったのか?総括をせずあるべき方向への道筋=理屈を語らず、熱い思いを強調して気持ちの問題にすり替えてきたこれまでの同愛会東京事業本部も、これと同様の思想構造でした。                                              (ジジ

「ゆにおん同愛会との事務手続き上の取り扱いについて」への組合の見解

1月29日、法人、東京事業本部、日の出福祉園施設長代行に提出しました。

「ゆにおん同愛会との事務手続き上の取り扱いについて」への組合の見解

先般、日の出福祉園施設長代行より、「ゆにおん同愛会との事務手続き上の取り扱いについて」という文書が組合へ提示され、組合はその内容の検討を求められました。しかし、その内容には大きな問題があり、組合は承認できません。

1、事業者側窓口とありますが、法人側の窓口の間違いです。
ゆにおん同愛会は、日の出福祉園ではなく、雇用者である社会福祉法人同愛会と団体交渉を行っています。したがって、窓口は事業者側ではなく法人側です。また、こういった手続きに関しての取り決めは、法人名の文書で組合に提示される必要があります。なお、法人の窓口担当者を日の出福祉園に置くこと自体は、組合は反対するものではありません。

2、事務手続き時のルールについて
「必ず窓口担当者2名同席の上で事務手続き等を行うもの」とするならば、そのうち一人が休みだと、組合は申し入れ、要請、確認等組合の法人、管理者へおよそ全ての意思表明が出来なくなります。さらに、「窓口担当者は、業務時間内に窓口業務を行いますので、双方とも事前に打ち合わせや日時を決め、打ち合わせ時には口頭ではなく、文書でのやり取りを基本」とするのであればなおさらです。この方法だと、労使双方の事務手続きが複雑化して時間を要します。口頭で済む日程調整まで文書化してやり取りする必要性が、いったいどこにあるでしょうか。これでは、組合からの意思表明を受け付けないように、あえて事務手続きを煩雑化していると受け取らざるを得ません。

手順を決める前にするべき事は原則の確認であり、それが物事の順序です。法人は議事録確認書をめぐる今までの数々の不手際の反省の上で、労使間の不要な疑心暗鬼や対立を生じないために、迅速な事務手続きを行う事を原則とすべきです。考えるべきは、いかに短時間で事務手続きを進めるかであり、それは理事長の意向に沿うものでもあります。

まず、今までの労使間の事務手続き上の問題点を明らかにしたうえで、あるべき原則の提示をしていただくよう要請いたします。
以上

「国旗に一礼しない村長」長野県中川村村長・曽我逸郎さん講演会 

「国旗に一礼しない村長」長野県中川村村長・曽我逸郎さん講演会 

感想です。(レイバーネットHPより)


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