降りていく生き方「べてるの家」が歩む、もうひとつの道、はフリージャーナリスト横川和夫氏によって2003年3月に刊行されています。
障害の状態も程度も一人ひとりが違い、かかわり方も決まりがあるわけではない事を断っておいて、「べテルの家」に関しての読後感に入ります。
ともすると障害を治すとか軽くしたいとか悪化させないとかが支援者の役割と思われがちですが、べてるの家の考え方は障害をそのまま自分が受け入れることから始めるのです。そのためには先ず社会生活を営む中でこびりついた不要なものに気付き取り除いていく。私が説明するより文中から拝借したい。
北海道浦河町の教会がべてるの家の拠点となる前から障害者とかかわってきた向谷地生良さんの言葉をそのままお借りします。
『私たちは近代化や合理化を通じて、人間として本来持っている基本的に大切なものの上に、学歴とか経済力とか便利さとかを、オプションのようにプラスアルファの価値として身につけてきた訳です。回復するという事は人間が人間であるために、そういう背負わされた余計なものをひとつずつ取り去って、本来の自分を取り戻していく作業なんです。何をしたら良いか何をしてあげなければならないかではなく、何をしない方が良いか、何をやめるか、つまり足し算ではなく引き算がべてるの家のキーワードなのです。それが降りていくということであり、そうする事によって人間が本来持っている力を発揮できるようになっていく、という考え方なんです。』
何を言っても実績が伴わなければ相手にされないのが現代社会だが、その考え方を受けた障害者の変わり方がまた驚きの連続で、人前で自分の障害について講演してしまう、年商1億の商売を切り回してしまうなど、健常者でもなかなかできない事をどんどん実践してしまう。
基本的な考え方が誤っていなければ、根気よく話しを聞き、自分で考え気付いてもらう。それを受け入れてくれる人がいつでも近くに居ることで、驚くほど人間が変わってしまうのです。
人をひとりの人格として尊重するとはこういうことなのだと気付かせていただきました。
また「この人の介助はこうするべき」のような、それも末梢的な方法論をしばしば耳にします。介助の質を高めるために福祉業界は、介助者が自ら考え実行するという工夫や創造の領域を尊重するべきだと思います。
よんく