2012年01月

何があっても平常心

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尾根上の杉。なかなかの存在感。
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内側は炭化していました。若かりし頃落雷にあったんでしょう。でも、自らのいのちのままに泰然としていました。
(2011.1.30 乙津より馬頭刈山への尾根  ジジ

長時間労働でうつ病リスクが2倍以上に、英研究 (pinkyさんのブログ記事より)

長時間労働でうつ病リスクが2倍以上に、英研究 (pinkyさんのブログ記事より)

どうしてうつ病になると認知(物事の見方、とらえ方、考え方)が歪んでしまうのか?

私は長時間拘束認知障害仮説を考えています。
「気分転換しておいでよ」と言われ何か気晴らしになりそうな事をやっても、戻ってきたら気分は元通り。それは認知が変わらないからです。薦めるべきは気分転換ではなく認知転換ではないでしょうか?

どんなに仕事で頭も心もフル回転させても、家に帰れば料理や子育てや介護や地域の仕事等々があって、職場の事なんか考えていられない…。そういった、いわば強制的な認知転換がなされる生活環境ならば、もちろんストレスで消耗はしますが認知自体は歪みにくいのではないでしょうか?

では職場の敷地内の寮に住んでいる特に独身の人はどうやって認知転換していくのか?職場以外で仕事と違った認知を経験する事、つまり職場という同一環境に長時間拘束されない事が、何よりもその必要条件です。

一生懸命が正しいという神話を一度疑ってみる事はメンタルヘルスだけでなく、実は対人援助職の支援論としても大切な事だと思います。                                                                                              
                           (ジジ

「夜明け前のこどもたち」1968年 監督:柳沢寿男

「夜明け前のこどもたち」1968年 監督:柳沢寿男

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西日本で初めて作られた重症心身障害児施設のびわこ学園の映画です。どんなに重い障害があっても子どもたちの発達の可能性を信じて、手探りで療育にあたるびわこ学園の取り組みが映し出されています。

私は20年前に第二びわこ学園で働いた事があります。映画は知っていたけど見たのは初めてでした。知っている園生(当時はこう呼んでました)の子ども時代の様子や、杏の木があった坂道を職員や園生や学生たちが作った事を初めて知りました。あの時やっていた石運びにはこんな歴史があったんだ…

どんなに重い障害があってもその人の発達を保障しようという発達保障の思想と運動は、学校教育からも排除されていた重い障害を持つ子どもたちへの貴重な取り組みだったのは間違いないと思います。でもその発達のゴールはどこに置かれていたのでしょうか?療育の取り組みによって子どもたちの夜は明けたのでしょうか?そもそも夜明け前だったのでしょうか?おとなになっていた20年前の彼らは、映画の
子ども時代とそれほど変わりがなく、実に個性豊かに生きていました。

社会ではその後、発達のためのおあずけの人生とは?発達に目的づけられた生活じゃなくありのままの姿で何が悪いのか?そもそも人間は発達しなければならないのか?といった発達を問い直す思想と運動が登場し、医療、福祉、教育、保育の現場で発達保障論と激しく対立していきます。

といっても、びわこ学園は施設内への隔離収容主義・訓練主義で貫かれているわけではなく、映画では外や町に出かけていく様子が映されています。私が勤めていた頃も毎日のように外に出ていました。発達保障論は障害を持つ子どもたちの発達だけでなく、彼らと接する社会の側の発達も視野に入れていたという点で、決して隔離収容主義や訓練主義とイコールではありません。

当時の職員の在職期間は2年。私もたった1年半弱の経験。映画の時代も20年前も、重症心身障害児だけでなく「周辺児」として重度の身体障害を持つ人たちが入所していました。エンディングで、職員の退職に「なんでや?」「なんで?」と問う子どもたちの声。それでもいいんだというナレーション。数えられないくらい多くの人たちが、彼らと関わったでしょう。その後の自分の生き方を振り返らせる言葉でした。

上映は2月3日にあと一回。職場が重症児施設かどうかに関わらず、多くの人に見てほしいと思います。  (林)

山田のオオフジ続報2

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                   右側手前がオオフジ
山田大橋上流左岸の緑地帯は護岸工事中です。 ケヤキの大木や、あのオオフジは立ち入り禁止区域に・・・もしや伐採?
 
左岸は水流の内側なので大水でも壊れる事はないようですが 護岸し直す必要があるのでしょうか?
 
ベンチもあって市民の憩いの場でした。今までの雰囲気を残してほしいものです。   (ジジ                       

「医(いや)す者として」 映像と証言で綴る農村医療の戦後史  

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映画 「医(いや)す者として」 映像と証言で綴る農村医療の戦後史 監督 鈴木正義

まず、「地域の中で医療と福祉の垣根をこえて」というキャッチコピーに惹かれました。どうも同愛会では、医療と福祉が対立的な構図で考えられているように思えるからです。(東京事業部内だけかもしれません。横浜本部の職員さん、違ってたらすみません。)

これは、長野県佐久病院に保存してある記録映像(病院に映画部がある)を資料にした、地域医療と高度医療のあり方について模索している佐久病院のドキュメントです。出張診療、全村健康管理等々今で言うアウトリーチの先駆的取り組みが紹介されています。

私は初め、医療専門職による農山村の民主化、近代化運動として啓蒙主義的な側面があったのではないかと思い、やや警戒的に見始めました。でも映像を見ると、当時の開拓農民の労働状況、衛生状態や生活状況等は、現代の都会に住む私たちの想像を絶する苛酷なものだった事をあらためて知りました。

当時は、インテリ専門職の主導権で遅れた農村を改革しなければならない社会的条件だったんだと思います。現代でさえ、知的・発達・精神障害を狐憑きや先祖・悪霊の祟りだとみなし、当事者に暴行して死に至らしめるような前近代的非合理思想や因習が残っている事を考えると、これからも専門職が正しい疾患・障害理解を広めて、社会の意識改革をしていく事はとても大切だと思います。

ただし、こういった専門職による地域医療・保健活動が精神医療に無条件に拡大できるかというと、とても難しい問題です。かつて群馬大学を中心にして精神分裂病再発予防5カ年計画を出発点に、生活臨床と呼ばれる地域精神医療の実践が医師や保健師らによってなされたそうです。それに対して、生活領域にまで病院の治療・管理が追いかけてくる事への批判がなされたようです。それは現在、全国「精神病」者集団が表明しているアウトリーチ弾劾声明にもつながる事だと思います。http://www.jngmdp.org/category/announcement/page/2

日の出福祉園の施設長は、「申請主義の名目でニーズの掘り起こしをしなくなった」と地域の現状について語った事があります。福祉は基本的に申請主義です。仮に知的障害があるからといって、申請もしないのに自動的に行政措置(権力の発動)として療育手帳(愛の手帳)が発行されるわけではありませんし、福祉サービスが決定されるわけでもありません。でも知的障害や家族の介護能力の低下などによって当事者・家族が申請できない場合、申請主義だけだと支援の手が届かない事になります。かといって、専門職が頼まれもしない地域のニーズ発掘に一生懸命になるのなら、それは専門職のおせっかいどころか、当事者の意向を無視した地域における障害者狩りになってしまう恐れもあるのです。

あくまで障害当事者の意向を支援の基本に据えながらも、では声にならないニーズをどう拾い上げていくのか?という事がとても難しい問題です。これは地域医療・福祉論だけでなく、入所している声を上げられない利用者のニーズをどうとらえて、どう拾い上げるのかという支援の根本問題だと思います。

ともあれこの映画は、「入所施設は利用者の家だ。悪くなったら外の医療機関に通うのが普通の生活だ」と医療を急性期治療だけの狭いイメージでとらえ(元気な健常者の発想です)、障害者の生活から医療の介入を忌避する傾向のある支援者には、とても衝撃的な内容なのではないでしょうか。慢性期看護や地域看護の臨床経験のない医療スタッフにとってもおススメです。

映画は好評で上映期間が延長されたそうです。場所はポレポレ東中野です。(林)
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